娘が1歳になるまでに、
子育てに関する本を(なんでも良し)10冊読もう。
そう思っておりまして、
育児関連書籍の4冊目を読みました
今回はその4冊目になります。
『雲の上でママをみていたときこと。』
という本です。
お腹にやどる前の記憶を持つ子どもたち
どんな本かといいますと、
はじめに、から抜粋させていただきます。
聞きとりを重ねるうち、不思議な記憶をもつ子どもたちと出会うようになりました。それはおなかにやどる前の記憶です。
著者は産科医さん。
診察する中で<おなかに宿る前の記憶をもつ子どもたち>と出会うようになったそうです。
そしてその親子にインタビューをしていったそうです。
不思議な事ですが、生まれる前の記憶や、胎内・出産のときの記憶を持つ子がいるのだそうですね。
おなかにやどる前、雲の上で・・・子どもたちは、世界中をぐるりと見回してたったひとり、すてきな女の人を見つけ出します。それがかけがえのない、大好きなおかあさんなのです。
どうやって生まれてくるのかと言うと、
子どもたちは生まれる前、雲の上にいて、お母さんを選んで見つけてくるのだそうです。
上から見られているんですね。お母さんになる人は変な事できませんね。
インタビューでの子どもの言葉
そして以下は、その記憶をもつ子どもたちへのインタビューからの言葉です。
えっと、世界中をさがして、いちばんママがよかったの。
さびしそうだったし、ぼくがきたらさびしくないかなって思ったから。
(お母さんはどうやってえらぶんですか?)
やさしそうとか、見た目とか。きれいなおかあさんとか。
(病気で生まれるか元気で生まれるか聞かれて、それを決めるのはだれ?)
うーん、自分
うんとねぇ、自分でお母さんを決めて、で、元気な子で生まれるって決めたら元気な子に生まれて、病気の子に生まれるってなったら病気で…
(たとえば、赤ちゃんって無事生まれるばかりじゃなくて、流産してしまうこともあるのだけど、その子たちはなんのためにおなかにくるんだろう?)
んーと、流産の場合は、外の世界を早く見たいって気持ちから生まれちゃうことが多くて。
(それ以外にはどんな意味があるのかな?)
いのちの大切さとか、そういうのを知らせたくって。
(赤ちゃんは流産することで役に立ってるのかな?)
役にたっていることがけっこうあります。
(赤ちゃんはそれでうれしいの?)
役に立ってうれしいって気持ちがあります。
(ほかにどんな使命もってる子を知ってる?)
うーんと、さびしい家族になるから
自分が生まれて楽しい家族になろうとか…
自分が生まれる事によって、みんな笑ったり喜んだり。
ママのおなかの中では、
こうやってまるくなって、
ママにチュッチュッしてたの。
ママがかわいかったからきたんだよ。
ぼくは
「おかあさん大好き」って言うために
生まれてきたんだよ。
ここでは引用しませんでしが、上記のほかにも、雲の上の様子や、具体的な話、絵などがありました。
お母さんや家族のために生まれてくることが多いようです。
もしも、本当にそうだとしたら
私は、私の娘も同様なのだろうかと考えてみました。
まだ言葉を発する事もできない目の前の娘は、己の事はまるで何もできないが、お母さんのため、家族の幸せのため、と思って生まれてきたのだ。とする。
そうすると娘は、何もできない弱い存在ではなくて、
妻の為に、または家族の為にと思って生まれてきた、とてつもなくイイやつだ。ヒーローだ。(ここで安室奈美恵さんの歌が流れる)
今までの人生で、同僚にしても、友人にして、家族、まして妻にしても、
「あなたのために生まれてきました」
なんて言われた事ありますでしょうか。
否、ない。
もし、自分の子どもがそのような想いをもって我が家へ来たとするのなら、なんとピュアで、なんと心強い存在なのだろう。
まだまだうんこ漏らしますけど。
そして、私自身も誰かの為のヒーローとしてこの地に降りてきたんだ。
と、仮にでもそう思ってみたときに、心の中で何か動くものがあれば、それはもしかすると雲の上で想ったことのカケラかもしれない。
最後に。
この本の<おわりに>から、流産に関して書かれていた内容をご紹介いたします。
流産の原因は、染色体異常や、栄養状態の問題であると考えられていますが、たましいのレベルで問うのなら別の理由があるのかもしれません。と。
その理由とは、著者が聞いた中には、
「子育ての準備ができていないよ」「自分を大切にして」「お父さんと仲良くね」「上の子をかわいがってあげてね」「命ってすばらしいんだよ」ということを伝える為というものがあったそうです。
うちも流産を経験しておりますが、私はそのとき妻に、何も言えなかった。
時間が少し経ってから高齢出産における割合は4割近いのだから。とかそういった事を話しました。その時に、もし、この本の事を知っていれば妻の気持ちは少しは違ったのかも、と思いました。
「良かったよこれ」と妻が言いました。
どうやら、私がテーブルの上に置いていたこの本を、勝手に読んだようでした。
何が、どのように良かったのかは話しませんでしたが、どこかスッキリしたような表情でした。